バラードのかみさま 「い、意表をついた展開でした。」 喉に絡んだ唾をゴクリと飲んで、王泥喜はそれだけを言葉にした。何かを待っているような牙琉検事の顔を見ても、脳味噌の中に言葉が生まれて来ない。 脳の皺から全ての言葉が消失したように、空っぽの給料袋を逆さに振っても埃ひとつ出て来ないように。 「え〜と。とりあえず、珈琲飲んでもいいですか?」 「う、うん。」 目を真ん丸にして頷く検事を可愛いなぁなどと思い、上目使いで珈琲を啜る。上等の豆を使っているらしい此処の珈琲は、いつだって、砂糖もミルクも入れなくたって美味しい。 「美味しいです。検事も冷めないうちに飲んじゃった方がいいですよ。」 「そ、そうかい。」 ストンと椅子に腰掛けてカップを手に取った。一口含んだ状態で、王泥喜は声を掛ける。 「で、牙琉検事は、成歩堂さんが好きなんですか?」 ブッと盛大に吹き出したのを眺めて、王泥喜は笑い声を噛み殺す。真っ赤な顔をしながら、慌てふためいて口を開く相手を、やっぱり可愛いと思う。 「ち、違うよ、断じて違う。た、確かにキスマークは、書類を受け取ったホテルで付けられたけど。悪戯みたいなもので、僕が好きなのは…おデ…。」 「ちょ、そこで止めないで下さいよ、検事。」 うっと言葉を詰める牙琉検事の顔に、待ったを突きつける。 「だって、その…思わせぶりは止めてくれっておデコくんも言ってたじゃないか。」 「此処で、成歩堂さんが好きだって検事が言えば、思わせぶりですけど、俺の事を好きだって言ってくれたら、それは告白で両思いです。」 途端、困ったような表情になる。 「男の子に告白されるのなんて、馴れてない。」 いや、俺も馴れてない…というか、生まれて初めてなんですが、牙琉検事。 「あの…ですね、「だから、男の子に告白するのも馴れてないんだ。」 そう言い切ると、顔を赤らめたまま拗ねたような顔で黙り込んだ。…立派に告白してますって、それ。気障な事を平気で口にするくせに、どうしてこういう時はとんでもなく可愛いんだろうか。 気持ちのままに、王泥喜は牙琉検事に手を伸ばし両手で掴まえた。 急に抱きしめられて、慌てた声が牙琉検事から上がる。「おデコく…!?」 「此処にくる時に、声だけじゃ足りないって教えて貰ったんです。だから、抱きしめさせて下さい。」 「え? だっ、誰に…?」 ちらと視線を送って、牙琉検事はそう聞いてきた。 だ、誰って…成歩堂さんとか、みぬきちゃんとか、ラミロアさんの歌とか…あ、そうだ。 「バラードのかみさま…です。」 向けられる視線が痛いけれど、時にははったりは大切だと王泥喜は己を納得させる。俺が決めていいと、牙琉検事も言ってたじゃないか。 「あの、そういう訳で、かみさまが良いと言ったんで牙琉検事は俺が捕まえました。 だから、もう誰にも痕なんて残させないで下さい。でないと俺、きっと怒るんじゃなくて悲しくなると思います。」 そう告げてぎゅっと抱きしめる。前半はハッタリでも最後は本音だ。 「かっ…かみさまに言われたのなら仕方ない…な。」 何処かふて腐れた言い方で、牙琉検事が呟くのが可笑しい。 「僕はもうおデコくんを悲しませるような事は絶対しない。かみさまに誓うよ。」 響也は王泥喜の唇に触れた。上唇を軽く舐めてから、ちゅっと軽い音をたてて離れた。ふっと微笑む顔がたまらなくて、王泥喜は、晒された額全てを赤く染める。 クスリと笑うと、響也は再度キスを−今度はおでこに−送った。 口付けを返そうと近付いた王泥喜の唇に、人差し指を当てて制止させてから、響也は悪戯じみた表情で笑った。 「かみさまの前で誓うから、これって当然正式な契約だよ。 反古にしたら法廷で決着つけるからね。」 王泥喜のどんぐり眼が完全に真ん丸になるのを見計らって、響也は瞼を閉じる。 一体、どっちがどっちに捕まったのか、わからなくなりそうだと、王泥喜は内心大きな溜息を付きながら、ゆっくりと愛しい人に顔を近付けた。 「おまけ」 成歩堂は備え付けの冷蔵庫から、プリンを取り出すとテーブルに置いた。 「もうすぐみぬきが来るから、いいだろ?」 そう告げて、机に座り書類に視線を走らせていた人物を見ればふっと息を吐く音がして頷いた。 「しかし、君がそんなに人の恋路に首を突っ込みたがる人間だとは知らなかったな。それに随分とおせっかいのようだ。」 成歩堂は勢いをつけてソファーに横になった。そのまま後頭部に両腕をまわして枕代わりにしながら、書類が高く積まれた机を眺める。 「まぁ、王泥喜くんは家族みたいなもんだし、響也くんも知らない仲じゃないからね。ふたりが仲良くなったら、みぬきも喜ぶ。三方一両損だよ。」 あからさまに引用が間違っている。ハッタリも大概にしたまえと、零された大きな溜息に成歩堂は嗤う。 それに、と付け加えた。 「弁護士と検事は結ばれるべき…だろ?」 成歩堂の悪戯じみた声色は、男の顔を赤面させた。しかし、書類を確認し終わった彼の声は感情を押さえつけてでもいるように微かに震えた。 「成歩堂」 「何?」 にこにこと悪びれない笑顔が向けられる。 「…君がひとりで処理すべき陪審制度の書類なのだが、「牙琉検事」の筆跡にあまりにも酷似している。弁明があるか?」 「あ? バレた?」 「きさまという男は…!!!」 部屋に響き渡る罵声を心地よく聞き流して、成歩堂はやはり楽しげに嗤った。 〜Fin
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